1ヶ月ヒモ生活ブログ

不本意な形で留年してしまった大学生が新社会人の彼女の家で実際にヒモになってみた様子を日記にして綴ります。

【4/22】ヒモ日記23日目【残り0日】

こんにちは。

火打ち石です。

遂にこの1ヶ月弱のヒモ生活も終わりを迎えます。

短い間でしたが毎日ご覧くださってありがとうございました。

この生活が終わっても弊ブログでは生活の振り返りや別のトピックについても書けたらいいなと思うので、ぜひ引き続き読んでくださればと思います。

というわけで、今日はこのシリーズ最終回。

最後までよろしくお願いします!!

422日(日)

 

今日は11時に起きた。

明け方に寝たのを考えたらちょっと早いけど、

朝から色々準備があったのでそれを考えると遅めの目覚め。

 

彼女はもう既に起きて台所周りの片付けをすすめていた。

めっちゃ申し訳なかった。

ホント朝弱いの何とかしたい。

これはもう10年くらい言ってる気がする。

 

起きて、布団以外ほとんど何もない部屋でおはようを交わす。

 

なんかいつもより落ち着かないな。

それもそうか。

生活感を全て剥ぎ取ったこの部屋はぼくにとってはなにものでもないただの一室にすぎないんだと改めて気づいて、少し、泣きそうになった。

 

とは言いつつも、そんな感慨に浸る間もほとんどないまま、

移動の準備を着々とすすめる彼女に

早く顔を洗って歯を磨くよう諭される。

 

目を覚まして少しシャキッとした11時頃、

ついさっきまでぼくが眠っていた布団を圧縮してダンボールにいれた。

いれるというか押し込んだ。

ダンボールが丸くなった。

 

その後すぐに近所の郵便局へ向かう。

ダンボールにつめた荷物を大阪へ送るためだ。

1つはぼくの家へ。3つは彼女の家へ送った。

おそらくこの記事を書いてる頃には大阪へ届いている頃だと思う。

 

12時前になり、冷蔵庫に残っていた牛乳とヨーグルト(賞味期限切れ)、冷食のドリアを食べた。

 

それからは延々と移動準備。

 

荷物をスーツケースに入れ、部屋の隅々を掃除し、ゴミを出して、、、

とごく一般的な引越しと一緒の作業。

マンスリーマンションなので、白物家電なんかはマンション付属の物だから荷物が少なくてよかった。

 

2時間もすれば部屋は元あった状態になった。

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彼女の方は、ガスをとめてもらったりスーツケースから溢れそうな荷物をどうにかして詰めようと格闘してた。

 

そんなこんなで14時にはいつでも家を出られる状態になった。

ひとまず安心した。

 

彼女がお腹空いたと言うので、昼ごはんについていった。

何が食べたいか聞くと

 

ラーメンが食べたい!!!!

ラーメンが食べたい!!!!

ラーメンが食べたい!!!!

 

3回叫んだ。麺スタグラマーかな?

 

ついこの前いったラーメン屋さんに行きたいというので向かったが、

このご時世なのでテイクアウトのみ営業になってしまっていた。かなしいね。

 

さすがにテイクアウトしても手で食べるか眺めるかしかできないこんな世の中じゃポイズン状態になってしまうので諦めて別のラーメン屋さんを探した。

 

すると彼女が良さげなラーメン屋さんを見つけたと言うので、

ご馳走してもらってる身分のぼくは何も見ずについていった。

なぜなら人権がないので。

 

 

店に着き、そこで待ち受けていたのは

 

 

 

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いや、二郎系ラーメンかーーーい。

 

 

どこのラーメン屋さんかわかったら相当のジロリアン

よかったらコメントで当ててみてね。

 

てな感じで彼女は小ラーメン、ぼくは油そばを頂く。

もちろん彼女持ちで。

 

彼女は小ラーメンというのもあってペロッといっていたが、

昼前にドリアをたべていたことを完全に忘れていたぼくは

限界に近い顔をしながら麺をすすり続け、泣きそうの極みの顔をしながら完食した。

ちなみに1日経った今もちょっとお腹下してます、

どうも火打ち石と申します。(突然の自己紹介)

 

そして、限界に近い顔で家に戻り、30分ほどゆっくりしてから彼女の新幹線の時間に合わせ、ひと月すごした住処を後にした。

 

 

さよなら品川、グッバイ東京___

 

 

一方のぼくは明日神田で日雇いがあり、

それのついでに最近大学院入学に伴って東京に住み始めた友達の家に泊まることになっていた。

そのため、家の最寄りからすぐにホームで離れ離れになることに。

 

改札まで着くと、ぼくが乗るべき方面の電車がきていた。

慌てて同時に改札を通ろうとするが、

ぼくだけICOCA(東京でいうPASMO)の残高不足で改札に入れなかった。

 

彼女に申し訳ないので先に行かせてチャージ。

ダッシュでホームに着くも、目の前で電車がいってしまった。

いってしまった電車から視線を向かいのホームに戻すと彼女と目が合った。

小さく笑って手を振ってくれた。

 

 

泣きそうになった。

 

 

こんな風にぼくはちょっとしたミスを積み重ねて留年してしまったし、

この生活でも半ばで彼女を怒らせてしまった。

meccharope.hatenablog.com

 

その度に不器用ながらも気を遣って優しくしてくれる彼女に甘えてしまった。

このヒモ生活も、彼女がヒモになってと言ってくれたからと彼女本位で始まったようにしていたが、違う。

 

ぼくが彼女に甘えたから始まった生活だった。

 

甘えがなければもし一緒に暮らしてても経済的に全て依存した生活はしなかったし、

それを悪く思う自分の一面もちゃんと現れていただろう。

 

 

そうこう考えているうちにむかいのホームに電車がきた。

 

彼女が乗り込んだ。

ぼくはずっと彼女に手を振る準備をしていた。

 

そのまま電車は駅を出ていき、彼女はこっちを向くことなく豆粒程の大きさまで小さくなって見えなくなった。

 

ぼくはその豆粒ほどの涙が自分の頬に伝うのを感じた。

 

悔しかった。

自分に。

 

ぼくは人生23年間生きてきて、

つい先月まではずっとヒモになりたいと、

楽していきたいとそう思っていた。

働かずに生きたいと思っていた。

 

だが、この生活を以てわかったことが一つだけある。

 

彼女が1ヶ月間のヒモ生活を全面的に受け入れようが受け入れまいが、

ぼくはヒモではなく、真性のクズ人間に成り下がってしまっていた。

それに1ヶ月間、彼女がこの目から見えなくなるその瞬間まで気づかなかった。

甘えが自分を腐らせてしまっていた。

どれだけ資格勉強しようと、日雇いのバイトをいれようと、

彼女にとっては俺はヒモでしかなくて、その状況に依存し、甘える自分のクズさに気づいてなかった。

 

 

涙がとまらなかった。

 

 

特別何か言われたわけでも突き放されたわけでもない。

 

自分の中の人間として大事な部分が抜け落ちてしまっていることに気づいたことにとても辛くなった。

 

彼女が新幹線から帰れば家族との楽しそうな写真が送られてくるかもしれない。

夕方にはまた1か月前のように「ただいまー!」

LINEがくるかもしれない。

 

そんなヒモはもう

自撮りアプリでツーショットを撮ったり

「おかえりー!」と言って抱きしめることもできない。

 

経済的に依存していた対象を急に失ったロスと、甘えに気づいた自分への残酷なまでの嫌悪だけがぼくの頭の中には渦巻いていた。

 

 

 

この生活でぼくには何が残ったのだろうか。